はじめまして。

これから、一人の知られざる江戸時代の文化人、田能村竹田(たのむら ちくでん)の魅力に迫る連載を始めていきたいと思います。

皆さんは「田能村竹田」という名前を聞いたことがありますか? 多くの方は、初めて耳にする名前かもしれません。彼は、江戸時代後期に活躍した南宗画(なんしゅうが)の大家として知られていますが、その才能は絵画だけにとどまりませんでした。

詩、書、和歌、漢詩、そして煎茶や香道にも深い造詣を持つ、まさに江戸時代のマルチクリエイター。その多彩な活動の全貌を記録したのが、今回紐解いていく『田能村竹田全集』(大正5年刊行) です。

この連載では、この全集を道しるべに、竹田の人物像、彼が生きた時代の空気、そして彼の作品に込められた思想や美意識を、皆さんと一緒に探求していきたいと思います。

田能村竹田ってどんな人?

まずは、田能村竹田がどのような人物だったのか、簡単にご紹介しましょう。

プロフィール

藩校エリートから自由な芸術家へ

代々医者の家系に生まれましたが、本人は学問や芸術をこよなく愛し、若くして藩の学校「由学館」のトップである頭取に任命されるほどの秀才でした。しかし、37歳の時に職を辞し、風流三昧の自由な後半生を送ることを選びます。

多彩すぎる才能

当代一流の文化人との交流

頼山陽(らいさんよう) や篠崎小竹(しのざき しょうちく)、谷文晁(たに ぶんちょう) といった、当時の日本を代表する学者や芸術家たちと深い交流がありました。

肖像画から見る竹田の心

全集の冒頭には、竹田が自ら描いた肖像画が収められています。

『田能村竹田全集』に収められた「田能村竹田自筆自画肖像」

そこに添えられているのは、竹田自身によるこんな言葉です。

おのれをのせしうつしゑに くるる日の二日もなきを めでおかしきものを 我もなしの翁

(現代語訳) 自分の姿を写したこの肖像画よ。 過ぎていく日々は、一日として同じ日はない。そのことが愛おしく、また趣深いものだ。 何者でもない、無一物の翁(おきな)より

達観しているようで、どこか飄々としたユーモアも感じられる言葉です。日々移ろいゆく自分自身を、客観的に、そして愛おしく見つめる。そんな竹田の人間性が伝わってきます。

彼の人生観は、全集の編纂者も「生涯の面目を代表する」と評した以下の句にもよく表れています。

まだ消えぬ 露の命のおき所 花のみよしの 月のさらしな

(現代語訳)いつ消えるか分からない露のようにはかない私の命。その置き場所があるとするならば、それは(桜の名所である)吉野の美しい花や、(月の名所である)更級の澄んだ月のような、美しい風物の中であろう。

儚い命だからこそ、美しいものの中にその身を置きたい。これは、芸術と共に生きた竹田の偽らざる心境だったのでしょう。

宝の山!『田能村竹田全集』の魅力

この連載で取り上げる『田能村竹田全集』は、大正5年(1916年)5月に出版されたものです。その内容は、まさに「宝の山」と呼ぶにふさわしいものです。

目次を少し覗いてみましょう。

例えば『屠赤々瑣録』には、長崎で見た中国の貿易船の役職名や、ロシア使節レザノフが来た際の騒動など、歴史の教科書には載っていないような生々しい記録が満載で、読んでいるだけでワクワクしてきます。

次回からの旅路

この連載では、次回からこの全集の中から特に興味深いテーマをピックアップして、さらに深く掘り下げていきます。

などなど、様々な切り口で彼の世界を探検していく予定です。

おわりに

田能村竹田という、一人の芸術家が遺してくれた宝の山。そこには、現代の私たちが忘れかけている、日々の暮らしを豊かにするヒントや、人生を味わい尽くすための哲学が詰まっているように思います。

これから始まる『田能村竹田全集』を巡る旅に、どうぞお付き合いください。(第2回へ続く)